◆心が温まるどころの話ではない

今道友信さんの「温かいスープ」を知っているという人は多いのではないでしょうか。
それもそのはず中学生の国語の教科書で出てきたり、国語のテキストでバンバン出てきていて定番中の定番と言っても過言ではないからです。
私が塾講師をしていた時も何度も目にしました。確か中学2年生のテキストにも出てきたし3年生のテキストにも出てきたと記憶しています。

この話が出るたび私は教える際のテンションが上がっていたのですが、本当のことを言うのであればこれは問題にして欲しくない作品です。
問題を作って「こうである」と断定させてしまうより、読み手が自分なりにこの作品に感動して欲しいと思っているからです。

「温かいスープ」は感動作で心温まる作品なのですが、はっきり言って心が温まるというレベルでは済まされない作品です。

この話の内容は、苦学生だった作者がフランス留学中に馴染みレストランに行く話です。
とても寒い日にパンだけ頼んだのだが、作りすぎてしまったからという理由でスープをいただいてしまいます。そして最後に、

「(このようなことをしてもらったから)人類に対して絶望することはない(原文とはちょっと違います)」

と言うのです。中学時代にこの話を読んだ時になんて温かい話なんだという衝撃を受けたことを覚えています。

しかし、いざ大人になってこの文章を読んだら、作者はずっとこのことを覚えているのだろうという文章から離れた視点で物事を考えられるようになった時に、この文章の深さを感じることができました。
きっと温かいスープを飲むたびに作者はこのエピソードを思い出すんだろうなと想像すると物凄い経験をしたんだなと深読みしてしまいます。

◆人にこうありたいと思う作品

今道友信さんの「温かいスープ」は温かいスープを提供された側ですが、この作品を読んでいたら自分も温かいスープを提供する側に回りたいと思うのではないでしょうか。

温かいスープ

(相手がひもじいのを分かった上で)スープをどうぞと言ったらなんとなく高圧的になってしまうし、貰う側としてももらいづらいのですが、

「作りすぎてしまったから(作りすぎてしまったとは言いませんでしたがニュアンスはこんな感じです)」

こういう風に振る舞えば相手は喜んで受け取ってくれると言うのが分かるからです。
自然な感じでスープを提供する、こんなことができる人間になりたいし、周りの人にはそうなって欲しいと思うことでしょう。さらにスープに涙が落ちるという辺りでこのスープの温かさが伝わります。

◆読む年齢によって思うことが違う

上記でも少し触れましたが、今道友信さんの「温かいスープ」を読む年齢によって感じ方が変わってきます。高齢になる程よりスープの温かさが増し、心にしみてくることでしょう。

私は中学時代にこの話が長い温かいスープだと感じていましたが、大人になったら短くて熱いスープだと思うようになりました。大人になると主要ではない文も拾い上げるため、それらがもたらす意味が強くなります。例えば、昔は、

「夫の弟が戦時日本人に殺されて」

と言うところはスルーしていたしそれがもたらす意味は気にしていなかったのですが、今ではそれがエッセンスになりよりスープの温度を上げてくれています。
文意を取れるようになるので昔読んだことを覚えているという人は是非とも大人になって読んでみることをおすすめします。

現在は『人生の贈り物―四つの物語』(今道友信 著 葉祥明 画)に収録されているようです。

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読んだことのない人はどれほど心打たれるかとワクワクしながら読んでみてください。ハードルを上げても上げ過ぎることはないと思っているほどの傑作です。