作家はいろんなところ見てるなと思ったことはないでしょうか。寺田寅彦さんの随筆「鉛をかじる虫」(『寺田寅彦全集 第二巻』 所収)を読んだらまさにそう思ってしまうこと間違いなしです。
短すぎる上ネットで全文読むことができるのでぜひ読んでみていただきたい作品です。短編を紹介するサイトですが、この作品が好きすぎて、ここに番外として紹介させていただく次第です。

とらひこ

(https://www.amazon.co.jp/)

◆寺田寅彦さんの鉛をかじる虫に出会った経緯

小説をはじめ文学作品との出会いは、「狙った出会い」と「偶然の出会い」と「与えられた出会い」があると思います。

「狙った出会い」とは、例えば好きな作家を狙って新しい本を読んでみたり、この作家を読んでいる人はこの作家も読んでいるなんていう枝分かれ的なおすすめ作品を読む場合に当たります。

「偶然の出会い」とは例えば本屋で本を探していたらタイトルに目がいってたまたま手にしてしまう。など意図しないのに本の方から歩み寄ってくるパターン。

「与えられた出会い」は教科書で出てきたり友達から紹介されるといったパターンです。

私が寺田寅彦さんの随筆「鉛をかじる虫」に出会ったのは「偶然の出会い」なのですが、まさにどうでもいい理由でした。
二十代半ばの頃私は一人で読書月間たるものを作っていて、その月は一ヶ月で短編、長編限らず50読むというのを目標にしていました。

仕事しながらのため普通に考えたらもちろん無理なのですが、そこでとった手段は「できるだけ短い作品を読む」ということでした。
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)という著作権の切れた過去の作品が全文無料で読めるというかなり素晴らしいサイトがあり、そこで出会いました。

◆着眼点が凄すぎる

寺田寅彦さんの「鉛をかじる虫」を普通に読んだら、もしかしたら何の印象も持たないで終わってしまうかもしれません。しかしこの話の面白いところは一文に全て集約されているのです。

要約すると、「人間は鉛をかじる虫のことをなんの効率もないものだと思うかもしれないが、虫は虫の方で人間を笑っているかもしれない」という文です。

>鉛をかじる虫も、人間が見ると能率ゼロのように見えても実はそうでなくて、虫の方で人間を笑っているかもしれない。
人間が山から莫大な石塊を掘りだして、その中から微量な貴金属を採取して、残りのほとんど全質量を放棄しているのを見物して、現在の自分と同じようなことをいっているかもしれない。

この文の前に、鉛をかじる虫は糞をするのですが、不思議なことにその成分が鉛と変わらない。つまり消化もしておらず全く意味ないことをしているという着眼点の文の後に置かれています。

>鉛を食って鉛の糞をしたのでは、いわば米を食って米の糞をするようなもので、いったいそれがこの虫のために何の足しになるかということである。
米の中から栄養分を摂取して残余の不用なものを「米とは異なる糞」にして排泄するのならば意味は分かるが、この虫の場合は全く諒解に苦しむというより外はない。

意味があるかないかを決めるのは他人ではないということがまざまざと伝わってきます。この主張が強いため、鉛を鉛のまま糞として出すという面白く肝の部分が薄れてしまうのが私はものすごく好きで、
この文章に惚れ込んでしまいました。是非国語の教科書に出して欲しいと思ったほどです。

たまに無性に読みたくなることがあるので、私はメールの送信ボックスに入れて読んでいます。2500文字程度の短い随筆です。

◆虫に対して興味が湧いてしまう

虫

上記で少し触れた鉛を鉛のまま糞として出すと言うところですが、不思議だと思いませんか?寺田寅彦さんもそこは不思議だと言っていて、この文章を作るにあたっての背骨部分に当たるのがこのエピソードです。

この文章を読んでしまったら他の生き物はどうなんだろう?とか、「じゃあ人間はどうなんだろう?」という好奇心が湧いてきてしまいます。理系目線での文章構成に関心が湧き新鮮味が感じられることでしょう。

自分なりに何かを観察したことを書き綴ったらもしかしてそれは実は自分だけの発見で、後世に残るかもしれません。
寺田寅彦の文章には理系目線なのに文学的という相反する二つが共存して思わず凄いな!と思ってしまうことでしょう。

ちなみに「鉛をかじる虫」と検索したら「お尻かじり虫」が出てくるケースがあるのでごっちゃにしないようにご注意ください!